「欲しいな」と児童から声が出ています。
手には初めて見る本物の銀と金メダルです。
先日、私がお世話になっている鍼灸の先生にお願いをしました。
数年前にパラリンピックの選手であったことや銀と金のメダリストであることを知りましたが、少し前に先生に児童の前でお話をして欲しいことを伝えましたら快く応じてくださいました。
佐伯修三さん
1988年 ソウルパラリンピック 銀メダル(ダブルス)
1992年 バルセロナパラリンピック 金メダル(ダブルス)
の輝かしい成績をお持ちです。国内大会でも何度か優勝しています。
佐伯先生は物心ついた時はすでに片足が病気で不自由になり、矯正器具をつけての暮らしであったとの事です。当時は給食がなく自宅まで帰って食事をして小学校まで戻る生活で、先生の当時住んでいらっしゃった魚島村の小学校は階段の坂続きで大変であったことを話してくれました。また、友達と体を一緒に動かして遊ぶことも少なく家の中で絵を描いたり、板の切れ端をラケットに見立てて家のテーブルで卓球のような遊びをしていたそうです。友達にもからかわれて嫌だったこともあったとの事でした。
その後鍼灸師の道に進み、社会人になり練習を積みながら当時全国で1・2位の選手同士がペアを組んでパラリンピックに出場してメダルを取ることができたと児童に話してくれました。お話しを進めていく中で
「決勝の時にはライバルで戦う同士であっても試合が終わると握手をしてお互いを称え合うことが大事よ」
「銀メダルを取った時には日本の国旗だけが上がるんです。僕はすごい思い入れがあるわけじゃないけど、金メダルを取った時は『君が代』が鳴りながら国旗が上がるのを見て一番感動もしたし、やってて良かったと言う思いが湧き上がりました」と児童に分かりやすくお話ししてくれています。表彰台に立った人にしか味わえない感覚かもしれませんが、児童は身を乗り出して聞いています。
お話しの後には実際にメダルを手にして児童が思い思いの言葉を職員に伝えています。残念ながら顔の表情をお見せできないのですが、メダルを手にした時の児童の表情は本当に目を輝かせていたように見えましたし、佐伯先生のお話も20分ほどでしたが最後までキチンと聞いています。
スポーツで頑張っている児童の2・3人ははお話しの後に個別で佐伯先生の所に行き「どのくらい練習しましたか?」「メダルを取るのに何年かかりましたか?」と尋ねています。先生からは「練習は夜中の12時までしたよ。仕事が終わってからやってたんよ」「メダルを取ったのが40歳ちょっと位なんで、7歳の時に卓球を始めたとして35か6年かな」と答えてくれました。
今回佐伯先生に来て頂いたのも児童全員に色々な可能性があること、また可能性を職員と一緒に見つけたり興味があることを深めることの大切さ以外にも、試合という闘い(ゲーム)の中でもお互いに礼儀や相手を尊敬し合う事等をお話を通じて感じてもらいたいと思ったからです。
佐伯先生が帰られる時には児童がお見送りをして「楽しかった!また来てね‼︎」と挨拶をしています。もし今後再度お話しがありましたら、先生にお願いをして別の質問やパラピンピックを通して他の国の人との関わった様子なども聞くことができたらと考えています。
佐伯先生、ありがとうございました。